音色の街


*『紅葉はなび』の年の冬のおはなし。ちょうど『光舞う夜空に暖かな調べを』から一年。

この連作短編集の最後の話。


 

 

優しい、君のメロディーは澄んだ空に響き渡る。

 

それは、公園を、灯台を、街を包み込むように思えた。

その時、街は色を変えた。

 

 

音色の街             

 

 

その夜、淡い淡い白は世界の色を変えた。

ワインレッド色の表紙を閉じ、私は舞い落ちる雪を見つめた。

 

こんなに小さい白だって世界の色を変えられる。

 

白い吐息が私の周りを漂う。

そして、原稿用紙に踊る言葉らを見て微笑する。

それは自らを嘲る、笑み。

私の書いた落書きなんて色を変えることなんて出来やしない。

所詮は落書きに過ぎないんだから。

 

そして浮かぶ君のメロディー。

 

嗚呼、君は私の世界を変えてくれた。

沈んでゆく記憶の君の笑顔が私の心を揺らした。

 

(ねえねえ、柚子?こんな曲どうかなあ?)

書き込みで溢れた楽譜を片手に走ってくる君。

(うわあ…凄く意思の強い小説だった。)

 

嬉しそうに私の原稿を眺める君。

緩やかにすぎる日々に私たちはそっと笑いあった。

 

あんなにも君が好きだった。

あんなにも君が大切だった。

 

曖昧な存在感。

曖昧な作風。

曖昧な笑み。

それを君は笑って言ってくれた。

 

(大丈夫、君はここにいる。ほら僕の手を握ってごらん?)

(優しい風が吹くように暖かくて、でもどこか透き通った感じがするね)

(笑うおう、悲しむよりは笑って生きていきたいな)

 

白い花がアスファルトに咲く。

またひとつ、またひとつ冷たさをかすめて舞い降りる雪は私の原稿に白を添える。

そして、目を静かに瞑った。

 

『白い地図に描かれた夢は

滲んだ涙のせいで見失う。

 

あの日気づいた私の想いは

小さないたずらでもう叶わない。』

そっとメロディーを口すさんだ。今の思いを吐き出すように。

 

 

懐かしさを帯びた音が耳をかすめる。

ギターの音が空から降ってきたように思えた。

『それでも進もう。君は迷わない。僕は止まってしまったけれども。』

『でも僕らが刻んだあの日々は、あの夢は』『いつまでも消えることはないから』

 

『だから。だから』

『涙のあとで描かれた夢地図をもう一度』

『『描き出そう』』

『そして』『長い冬が終わった時に』

『いつか』

 

『『きっと君のもとへ』』

 

紅葉の声だ。

少年にしては少し高めで、こんなに優しいメロディーを歌えるのは。

 

「心はずっと。君とともに。」

 

去年のこの季節、紅葉が囁いてくれた言葉は今でも生き続けていた。

 

そして、一度息を吸い込むと私はもう一小節、欠けていた最後の一小節を歌う。

『さあ、くしゃくしゃに描いた夢地図を

その手に握って。青い空を見上げよう。』

最後の旋律を紡ぎ終えて、ベンチへと座ろうとする。

 

からん。

 

アルミ缶が地面を転がる。

すうっと息を吸い込むやや緩やかなブレス音。

月が眠たげに夜空を駆ける。

 

『落書きだとしても

その夢地図は。思いは。

 

世界を変えてゆける。』

 

柔らかな君の歌声が空に響いた。

 

その時、町は色を変えた。

 

冬色一色だった町に音色は淡い彩りを飾った。

街灯は淡い桃色に。

本は淡いライトブルー。

レモンティーはライムグリーン。

万年筆は群青に。

そして小説は虹色に。

町が音色おといろへと色を変えた。

 

ふわり。

風に揺られる楽譜を拾い上げて驚く。

書き込みによって真っ黒になった紅葉の楽譜だった。

ところどころに日記が書かれていた。

 

『7月15日  天気:夏風が隣を通り過ぎるような晴れ

柚子の小説はやはり落ち着く。

それでいて水に落ちるような透明感と優しさがあるなあ。

柚子の小説は僕の心の世界を広げてくれるや。

明日も、また柚子の小説読みたいな。』

 

『6月24日  天気:闇に紛れた曇天

ごめんね。ごめんね。

 

ありがとう。』

 

淡い透明のしずくが零れ落ちて星となる。

 

嗚呼、私の小説はこの町を変えることはできなかったけれど。

君の心の世界を変えることはできたのかな。

 

闇に沈んだ原稿用紙に一言私は書き加えることにした。

 

「蒼い落書きでさあ、世界を変えよう。」

 

 

(街は音色に。君色に。)
(私に灯った音色はいつまでも)

 

 

 

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