120円に雲海




 通学路に、すこしばかり年季の入ったアイスクリーム自販機があることを知らないひとはいない。お店の看板の代わりは、潮風にさらされて錆びついたママチャリ。ささやかなカフェスペースの代わりは、自販機のそばにある廃線になったバスの停留所である。状況だけを端的に表せば、このように酷い有様であるのだが、この自販機はどうやら絶えず人の手が加えられているらしい。いつの間にか季節のフレーバーが苺から日向夏に入れ替わっていたり、売り切れ中の赤いランプが消えていたりする。
 そして、いちばん不思議なことに、夢ノ咲学園のアイドル科の生徒たちの多くはこの自販機を気に入っていた。放課後、このアイスクリーム自販機のそばには絶えずひとが集っていた。あるいは普通科の恋人とのデートのために、あるいは仲の良いクラスメイトたちとのちょっとした休息のために。そしてあるいは、皮肉屋でうつくしい親友とささやかな乾杯を交わすために。八月、16歳のあおい夏。バックギャモンに所属するレオは、いちばんの親友の泉と共に、くだんのアイスクリーム自販機の前で、商品たちとにらめっこをしていた。

 レオと泉の間には、暗黙の習慣のようなものがあった。どちらかに良いことがあった時は、二人で祝いあうといったものだ。いつから始まったのか覚えていないこの習慣を、レオも泉も大事にしていた。
 例えば、泉が有名雑誌で特集を組まれる機会があったときでは、おいしい喫茶店のすこし高めのココアで乾杯をした。クリームがたっぷりと乗せられたココアに、泉が眉をひそめたものだから、甘いものが嫌いなのかとレオは困惑してしまったのだが、実のところ、カロリーの取りすぎを心配していたことを知ったときには、僅かにわらってしまった。今日は無礼講だというのに。「そんなに過度に心配しなくても、だいじょーぶだよ。セナは今日も世界一きれいだ」と零せば、泉はほんのすこし迷った素振りを見せたのちに、ココアに口をつけていた。そのときの泉の様子は、ひどく幸せそうだった。泉が血の滲むような努力を重ねて、そのプロポーションを維持していることをレオはよくよく知っている。そんな泉の生真面目で努力家なところを、レオは好いていた。けれども、すこしくらいは息を抜いてもいい筈なのだ。レオも泉もまだ、高校生なのだから。自分の隣が、泉の息抜きができる場所になれたらいい、とレオはつくづく考えていた。

「れおくん、決まった?」
「んー……日向夏アイスか、ソーダアイスかで迷ってる!セナは?」
「俺はいいかな、またカロリー計算をし直さなくっちゃいけないし」
「いーじゃん、いーじゃん。無礼講、無礼講!おれの曲がはじめてユニットで使われた祝いってことで」
「けれどねぇ……」
 今日は、レオのためのささやかなお祝いだった。    
 これまでも、何度かレオの曲はユニットのライブに使用されてきたのだが、今回の曲はいちばんのメイン部分で使用されたのだった。レオと泉の所属するユニットは問題が多く、真面目だと胸を張っていえない。それでも一年生にとって、憧れのユニットで自作曲が使用されるというのはとても嬉しいものなのだ。興奮気味に親友の泉にそのことを話せば、自分のことのように喜色を示してくれた泉が、「何が食べたい?」と尋ねてきたものだから、レオは迷わず、このアイスクリーム自販機のことを思い出した。そんなものでいいのか、と怪訝そうに眉をゆるめた泉を押し切り、今こうして自販機までやってきたのだった。

 炎天下が照りつけるなかでも、ぼろぼろのアイスクリーム自販機はきちんと稼働し続けていた。うなり続ける自販機は、相変わらず何処かしらのタイミングでメンテナンスが入っているらしい。すべての商品に緑のランプが灯っている様子は、レオとしては有り難いのだが、同時に選択の幅が増えるということだ。見慣れない新商品によわいレオが、困ったようにもう一度隣を見やれば、レオが心のそこから好いているシャレイブルーが、急き立てるように細められる。 
 見上げた双眸は、夏を游ぐいろ。きちんとセットされていただろう、銀砂をこぼしたような髪が陽光を透かしている。そのコントラストに思わず「セナは今日も綺麗だなあ」と零せば、泉はほんのすこし照れたように顔をそむけた。レオが泉のことを褒めるたびに、お人形さんみたいにうつくしい泉が感情をゆらす。それがどうしようもなくレオのこころを擽るのだった。そっぽを向いたまま、「暑いから早くしてよねえ」とくりかえし急かす泉に、心の中で返事をして、日向夏のフレーバーのボタンを押した。やはり、夏は季節ものがいちばんだ。

 ごとん、とおおきな音を立てて、自販機からはき出されたアイスクリーム。いそいそとレオが箱を取り出そうとすれば、指のさきに霜がつく。すぐに融解しては水滴になったそれは、道のりまでで散々に日光を浴びた身体の熱を奪ってゆく。夏の暑さに抗うようなそのつめたさに、思わずレオは頰をゆるめた。ああ、この自販機が根強い支持を受けるのも理解ができる。ひさしのある停留所に一足先に逃げ込んで、嬉々とした表情で、アイスクリームのパッケージを剥けば、自分の髪とおなじ橙色をしたアイスクリームが顔をみせた。思わず太陽に透かしてみれば、途端宝石のようにひかりを弾く。その刹那的なうつくしさに、レオは目を輝かせた。鋭さを印象づけるメロンソーダの色が、ぱちりと弾けては真昼の星になる。
「そーやってはしゃぐのもいいけれど、それ、一応はアイスクリームなんだから、すぐ溶けちゃうよ」
ごとん。向こう側の自販機からもう一度、アイスクリームがはき出される音がした。音に釣られて自販機を見やれば、ちょうど泉がアイスクリームを取り出そうとしているところだった。手元で揺れるパッケージは、泉の目の色とおなじシャレイブルー。ソーダアイスなのかなあ、と思考をゆるませたところで、泉がアイスクリームを買うという、ことの重大さに気付く。目をまあるくさせて星を散らしているレオを見やった泉が、仕方なさそうに息をついた。
「今日だけ、とくべつ。れおくんのお祝いだもの」

 口元をゆるめながら、アイスクリームのパッケージを切る泉は、少しだけ嬉しそうで。不服そうに眉をひそめる泉も、怒りにふるえる泉もどれもこれもうつくしいのだが、やはり泉はいちばん喜色を乗せているかんばせがうつくしい。レオは、泉のわらう様子を見るのがとても好きだった。力が抜けたようなわらいかたは、あの喫茶店でココアを口にしたときの泉のわらいかたとよく似ていた、気がする。
 泉の息抜きとしての場所になれているのかは、レオにはわからない。けれども、あの気だるげな炭酸水のようなわらいかたが本物なことは、おんぼろのアイスクリーム自販機と泉の親友であるレオはよくよく知っていたのだった。


(20170827/120円に雲海/レオいず)

▷チェックメイトのイベントを踏まえた話。セブンティーンアイスの自販機、結構意外なところで見かけがちです。個人的には、近所の商業施設に置いてほしいです。/2017.12