1. the  first day i meet you…

 

 

 

静かな音を立て、また一粒雫は木の葉へと落ちてゆく。

それは、時の流れを感じさせ、なおかつあの日のことを思い出させる。


目を瞑れば浮かび上がる、黄金色の雌猫の残像。


舌に感じる苦味と甘さ。


しとしとと降り止まない小雨の音に耳を傾けながら、俺は追想に耽り始めた。

 

* * *

 

「ふわあぁ…」

あくびを噛み殺しながら、俺は俯けていた顔を上げた。

瞳に映るは透き通った小さな雫ひとかけら。

そして、先程から降り続けているのであろう氷雨。

絶え間ない雨音はぐぐもった響きとともに洞穴に反響する。

「雨…か。」

誰にも聞こえない、雨音に掻き消えそうな声でそう呟いた。

静かに洞穴の奥へと向かい、小石を敷き詰めただけの井戸に良い香りの葉を浮かべる。

そして、陽の光が差し込む小さな窓から見えない青空を見据えた。

小さく溜息をついた俺は懐かしき幼い頃の思い出を思い出す。

物心つく前から、俺は父さんの顔を知らなかった。

美しい銀の毛を整える母さんに俺は良く父さんについて問いかけた。

いつも母さんは笑って答えてくれた。

「とても勇敢で優しい猫だった」と。

それが嘘だと、俺はなんとなく子猫ながら見抜いていた。

母さんの、曇りのない瞳にいつもその時だけ何かが翳ったから。


それは後悔の念か、それとも。


やがて、人間の年だと青年になった頃。

母さんに頼まれ向かった森の先で俺は父さんについていくつかのことを耳に挟んだ。

父さんは、非道で残虐な猫だった。

猫をいたぶり、そして殺す。

いつも笑っている仮面を外さなかったと、住人は囁いていた。

その様子から「狂った白牙」と呼ばれていたとも。

木陰で盗み聞いていた俺は、たまらずそこから逃げ出した。

そして、導き出された洞穴で待ち受けている結末を思い、必死に否定した。

洞穴へ息を切ってたどり着くと、母や兄弟の代わりにそこに置かれた木の葉の手紙。

それにはたった一文、

「ごめんね。」

と書かれていた。

―俺は捨てられたのだ。

多分、母さんは少しずつ大人に近づいてゆく俺に父さんの面影を重ねたのだろう。

その笑いに。その外見に。

そして今日。耐え切れなくなった母さんは洞穴を後にした。


涙雨が俺の頬を濡らした。

そこに込められていたのは、恨みでも悲しみでもない何かだった。

洞穴の奥に置いてあった一房の銀色の毛束を俺はそっと小石の下に挟んだ。

月日は流れ、今に至っている。

「あ、いけない」

物思いに耽っていた俺は急いで井戸へと向かった。

ちょうどいい具合に染み込んだ深緑と安らぎを感じさせる香り。

それを少し舐めると浮かべた葉を取り出した。

静かに氷雨は降り続いている。

なぜだろうか。

この氷雨に包まれた世界で自らの思いを全て吐き出したいという衝動に駆られた。

そうすれば、全ては土へと帰ってゆく気がして。

音を立てず俺は、氷雨へ一歩踏み出した。


そう。このとき。

この衝動に従っていなければ俺はほろ苦いこの思い出を抱くことはなかったのだろう。


いつもの休息の場である巨木の木陰へと腰を下ろそうとする。

しかし、何故か今日は誰かの気配がする。

知らない猫…多分雌猫の気配が。


樹の表側にいた気配の正体は。

 

長く降り続ける氷雨に濡れた金茶色の毛をもつ


倒れた雌猫だった。

その空間だけ時が止まっていた気がしていた。

ただ一つを除いて。

そう。

彼女の首元に掛かった金の懐中時計の針を除いて。

 

 

the  first day i meet you…

(私があなたと出会った最初の日のこと)

2.