春は遠のく背中

 たとえるなら、春の嵐のような男だった。
 膨大な星の熱量を背負いながら、その重力をものともせずに歌い、踊るさま。ステージを照らす煌々とした照明すら、引き立て役にしてしまうほどの輝度をもつ、緑のまなざし。純白の衣装の裾が、サイリウムの海の中でらせんを描いてひかった、その光景を泉はよく覚えている。忘れようと思ったって忘れられやしない、最高純度の青春のかたちだった。
 スポットライトのなかで、恒星みたいにぴかぴかした光を放ちながら、かの男が笑っていた。汗だくで、時々ステージに置いてきぼりにされてしまいそうな、上手く表情をつくれない泉を、ただただ「うつくしい」と讃えて、その手を躊躇わずに引く。触れた指先から伝播する、37℃の体温。わずかに昂ぶっていて、ぴりぴりとした甘い痺れが、ゆっくりゆっくりと泉の背筋をつたっていった。身震いをした。この男には掻き乱されてばかりなのだ、泉は。なんたって、この男は。
「セナ、」
 この男は春の嵐なのだから。

 名前を呼ばれた、その途端に舞台を占めていた青が掻き消されてゆく、そんな気がした。中心にいる男が、舞台の青も身に纏った白も全部全部吸い込んで、そうして鮮やかな花のいろに還元してゆくのだ。舞台の真ん中にいる男の髪先がゆれる、揺れている。灯火のような透をつれた髪が、泉の目を奪ってやまない。引き裂かれそうだ、と思う。粉々になるような爆裂的な勢いを伴った、春の嵐。いつだって彼は、このちっぽけなステージに嵐を連れてやってくる。鮮明な風のにおいも、嵐の中心で一際ひかってみえるグリニッジグリーンのうつくしい目も、泉は覚えている。それは夢と錯覚するほどにうつくしい景色でありながら、じっとりと汗ばんだ自身の肌の感覚は、この光景が現実であると訴えかけていたからだ。
 つきの色をした髪が乱れてゆく。泉のまつげのふちを春の嵐を纏う男が撫でるので、ぐっと目を瞑った。全てが花のいろに還元されてゆくこの舞台で、いっそ。


「だから、あいつは嵐なの。俺の春の嵐。全てを奪い去って行くような、傍迷惑で一生巡り会いたくもない嵐だ」
 そう目の前の男が断言する様を聞いて、嵐はケーキを切り分ける手を止めた。ついで顔を上げれば、綺麗なかたちをしたシャレイブルーと視線があった。あいも変わらず、嫌になっちゃうくらいに綺麗な顔をしているわ、と嵐はぼんやりと零せば、泉はぐっと目を細めた。瞳孔に沈んだしろが小さくなる。
「あらァ、目の前に嵐の名を冠した人間が居るのにそう言っちゃう?」
「アンタ、自分の名前が嫌いなんだからいいでしょ」
「それとこれとは話が別よォ、泉ちゃんたら乙女心が分かってないんだから」
 フォークをゆっくりと左右に振りながらそう言い返せば、泉は困ったように眉を寄せた。司や転校生あたりの新入生には、融通のきかない恐ろしい先輩だ、と揶揄されることが多いこの男は、ことのほか誰よりも素直で優しい所がある。モデル仲間である嵐も真、同ユニットである凛月あたりはその辺りはよくよく知っている。それから、今話題に上げられている男も、泉の性格をよく知っていた。彼は、泉の唯一無二の青春の共有者であったから。
「……アンタは確かに嵐だよ、例えるなら、夏の嵐。けれども、あいつは春の嵐なんだ。あいつの周りの全ての色が、あいつ一人に収束してって、そして一気に広がってゆく。そうしてステージとそれ以外を分かつ、嵐なんだ」
 ナイフをくるくると回していると、咎めるような泉の視線が投げられる。少し舌を出してて手を止め、切り分けたケーキを口に放りながら、嵐はぼんやりと問う。
「季節にこだわるみたいだけど、どうしてかしら?」
 その曖昧な問いを聞いた泉は一瞬虚をつかれたような顔をして、それから後目尻を緩めてわらった。諦めたような、懐かしさを擁したような笑い方だった。ひとしきりわらったあとの泉の答えに、嵐はその表情の意味を知る。
「あんたは居なくならなかったでしょ、春の嵐は、まばたきほどの時間で居なくなるから。俺はね、なるくん」
 あの春にころされたかったんだ。
 ああ、と思う。奇跡でも起きない限り、あの男が帰ってこないのだと彼は識っている。彼らが愛した青春はすでに喪われてしまって、後に残されたのは血まみれの此処だった。だから彼は王不在の騎士団と揶揄される此処にいる。彼が帰ってこないと識りながらも此処で、 彼を待っている。まばたきほどの春をもたらした男を追想しながら、いっそ彼に殺される日を待っているのだ。


(春は遠のく背中/泉+嵐<+レオ>/20180628)