涙色の空とプログラム

蒼い空が今日も少年の前に広がっている。

少年はそれを眺めながら小さく呟いた。

 

「僕はね、過去のない僕が怖いんだ」

 

それを見上げる蒼の少女は、小さく顔を伏せた。

自らの悲しみを少年に見せないように。

ディスプレイの中から。そっと。

 

 

涙色の空と星屑の記憶

 

 

ブランコの金属音が響く。

地面を蹴る君を私は淡い数字が飛び交う中、見ていた。

君は顔を歪めながら、私に話し掛ける。

「僕は昔どういう性格だったんだろう。

 どういう姿だったんだろう。」

 

赤い瞳で私を見据えて言葉を続ける。

 

「僕は過去のない僕が怖いんだ。

 僕はそんな自分が好きになれない。」

 

君は、九瀬遥っていう病気がちの生徒だったんだよ。

君には、榎本貴音っていう病気がちの同級生がいたんだ。

でも二人とも、楯山先生っていう担任に騙されたんだ。

それで、貴音っていう同級生は、心と身体を切り離されて電脳体のエネになってしまった。

それがこの不格好な姿の私。

君は、改造されて人造人間のコノハになってしまった。

 

そして、私は遥のことが好きだった。

 昔も。今も

 

君が過去のない自分の事を嫌っていても。

私は君のことをよく知っているから。

今だって君のことが好きなんだ。

 

そう、伝えたかった。

だけど、声を出そうとしても喉に突っかかって出てこないんだ。

でも、とても苦しそうな顔をする君を見ているのがとてもつらくて。

 

憎憎しい蒼い空をスクリーン越しに眺める。

 「コノハさん。一つ小さな話をしましょう」

 

私は君にそう告げた。

「エネ?」

問いかけられたその声を続けての意味だと思い、話を続ける。

「あるところに病気がちな少年がいました。

 あるところにその病気がちな少年の同級生の少女がいました。 

ある日の午後に少年は少女にこう笑いながら言いました。

『僕は、明日にもここで君と駄弁ることができなくなるかもね』 

少女は何も言いませんでした。

ただ、とても悲しそうな顔をしました。」

 

そう、あるときに理科室の窓辺で頬杖をつく私に遥はそう言ったんだ。

淡い橙色に染まる机に落書きをしながら、心底寂しそうな声で。

 

本当にその時驚いたんだ。

いつも笑顔で、病気のことなんて私に考えさせない遥がそんなことを言うなんて思いもしなかったから。

でも、そんなこともう君は知らない。

君は『九ノ瀬遥』っていう私の同級生じゃなくて、『コノハ』っていう記憶喪失の青年だもの。

 

いくら願っても、時は巻き戻れないから。

 

電子欲の世界に一粒の雫がこぼれて、消えた。

 

「続けて。」

私を覗き込む赤い瞳。

その瞳に写るのももう『貴音』じゃなくて『エネ』なんだよね。

その事を実感する親しみの消えた顔。

 

「少女は驚きました。

 少年はそんな事を感じさせない明るい表情をする生徒でしたから。

 少女は聞き返しました。

『何故そんな事を言うの』と。」

 

早口で私はまくしたてた。

 

あの日のことを思い出さないために。

「うん。」

うなずく君はそっと私を見つめた。

「少年は悲しそうな顔をして言いました。 

ただ、どこか諦めたような面影とともに。

『僕は、いつも言われてきたから。

 貴方には、生死の保障は出来ないよって。』」

 

私はそんな君に何も言えなかったんだ。 

先生から聞いていた。

遥が重い病気だってことを。 

だからそれを違うとはいえなかった。

遥の言った事は全て本当の事だったから。

それでも不器用な私は何にも言えなかったんだ。

 

「少女は何も言いませんでした。

否、何も言えませんでした。 

流れてゆく時は二人を分かちました。

そして。 

少女は一言呟きました。 

震える唇で言葉を紡ぎました。 

『私の前でそんな事を言わないで』」

 

私は怖かったんだ。 

目の前にいる遥が突然いなくなっちゃうなんて。

 

考えたくなかったんだ。

 

私の隣に遥がいる。

それが当たり前に感じていたから。

それが引き裂かれたことは私の心に深い傷を残した。

 

けれど、それすら君は知らない。

 

青いジャージに濃いしみが散らされる。

「少年は、悲しみと諦めの感情のこもった声で少女に言いました。

『うん。ごめんね。突然そんなことを言い出しちゃって。

でも僕はそんな日が来る事が怖いんだ。

そして、そんな病気を持つ身体の自分も好きになれない』

少女は小さく目を伏せました。

心の中で呟きながら。

私は君が好きだよ。

たとえ、君が自分を嫌っていたとしても私は好きだよ

私は貴方の全てを受け入れるよ。」

 

「エネ、無理をしないで。」

 

そっと声をかけて話を止めてくれたのは優しい声音の君だった。

「ねえ、泣かないで。エネ。」

そっと画面越しに私の髪を撫でる。

その手つきがあんまりにも遥と似ていてまたひとつ涙が零れた。

 

「その少年は僕のようだね。自分が好きになれないところとか。

ただ、少年は幸せ者だね。

少年の全てを受け入れてくれる人がいたんだから。

無理をしないで。

辛いなら、そこで止めていいよ。」

 

涙色に染まる、揺らぐ空を見上げながら私は君に言った。

そっと口元を緩めながら君に告げた。

「きっと。きっとコノハさんも会えますよ。

貴方の事を全て受け入れてくれる人に。

貴方がなくした過去も。貴方が嫌う貴方も。

そんな全てを受け入れてくれる人に」

 

口元を広げて。そっと。

私じゃ駄目だったんだよ。

 

あんな事を言ったくせに、私じゃ駄目なんだ。

 

私は、君の悲しみを知ろうとしなかった。

そう、貴音であった頃も。今も。

 

君の全てを受け入れる事が、出来なかった。

 

「ありがとう。エネ。」

 

夕暮れの中、少年は少女の思いを知らずただ微笑む。

 

(ねえ。)

(私はこんな道を歩いてきたけど)

(君の笑顔を見るたびに思うんだ)

(君が幸せならば、私はこれでいいんだって)

(私と過ごした記憶がなくとも)

(君の近くにいられるならば)

(私の心は君とともに在るって思えるから)

(そしてそれだけで私は幸せだから)

 

 

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