2.Your evening calm-colored eyes and blue syadow

 

 

 

しとり、しとりと岩屋に響く雨音。

揺らめく霧は俺らの姿を隠す。

 

「痛い」

どうやら先ほど足を捻ったらしい。

ちくりと刺す足の痛みと心の痛み。


どうせ、この猫だって俺を見たらここからいなくなるんだろう。

それでも。


あそこで倒れていた濡れている彼女をほっとけなかったんだ。

しずくの滴る白銀の毛は足元に水たまりを作った。

はあ。一息ついて、俺は傍らで目覚めない金茶色の雌猫のほうに振り向く。


「いったいこいつはどうしたんだろう。」

小さく呟きながら、薬草を彼女のほうへと押し出す。

治療の方法を幸い親から教わっていたので、手当てすることは可能だった。


先程、倒れていた彼女を見つけた俺はあてもなく自らの家へと連れてきた。

この辺りでは見かけないような金茶色の毛を持つすらりとした不思議な雌猫。


今は彫像のように動かない。


その首元にかかった小さな懐中時計。

微妙なずれがその美しさを際立たせる短針の模様。

ふちに描かれた星々に、中心に埋め込まれた青い星。

雲間から差し込む夕方の光を受けて煌めくそれら。


小雨が耳に心地よい規則的なリズムを刻むのを傍目で見つめ、また思索にふける。

一番気になったのは.


「何故、あの時計は進まなくなったのだろうか。」

そう。

彼女を見つけたときには針は動いていたのに。

岩屋に連れてきた時には、止まっていた。

ますます、わけが分からない。

夕空を遮る厚い雲がまた嘲笑った。


小さな雨が顔を打つ。

遠ざかる意識と俺を招く静寂の世界。

こぽり。

藍色の渦巻く闇へと俺は沈んでいった。


「貴方ですか?」

澄んだその一言で俺は目覚める。

「貴方が、私をここに連れてきた方ですか?」

問いかけてくるその猫は先ほど介抱していた雌猫で。

微笑みを浮かべてそっと俺の背中に触れた。


それに篭っていたのが嘲りではなく優しさで。


俺は逆立てた毛を静かに沈めた。


しなやかな金茶色の尻尾がふわりと宙を舞う。

夕凪の輝きがまぶされた橙色の瞳は小さく煌いた。

綺麗だ。そう思ったけれども。

灰色の霧雨を写した彼女の瞳に浮かんでいるのは。


…諦め?

希望という光はどこにも見えず、憂いと悲しみを孕んだ光がそこにあるだけ。


頷くと、彼女は笑みながら言葉を返す。

「ありがとうございます。
貴方はとても心が温かい方ですね。」

嗚呼。

この雌猫は

儚くて、今にも消えそうで。

触れようとしたら、夕暮れの世界へと溶け込んでしまうようで。

とても不思議な雌猫だけれども。


誰からも愛されなかった俺に初めて手を伸ばす猫だ。


偏見の目で見ることはなくて。

ただ、感謝の思いで手を伸ばすだけで。

彼女の瞳に映る俺はただの白猫で。


それでも。

また、心が傷んだ。

俺が何もしたわけではないけれども。

村の猫たちが怯える、大勢の猫を殺した猫の息子だと。


気づいてしまえば。
知ってしまえば。


彼女の瞳に映る俺は殺人鬼の息子になってしまう。


ちゃりん。

あの時計の鎖が軽やかな音を立てて、霧を揺らした。


彼女は小さくはにかんだ。

どこか影のある笑みで、そっと。

「この時計はある方からもらったんです。」

そしてどこか申し訳なさそうな顔で言った。

「あの、名前を最初に言わなくてすみません。

私の名前は、茜です。」

金茶色の小さな毛が、風に舞う。


かちり。


懐中時計の針が音を立て、動いた。

 

それが俺と彼女が出会った最初の夕方のこと。

彼女を見つけたときから降り続いている雨音がいやにこびりついていた。

 

 

Your evening calm-colored eyes and blue syadow

(あなたの夕凪色の瞳と蒼い影)

2.5