色を刻む空を君と

舞い散る白雪の中

鐘の音は音高く色を刻み始めた空に響く。
そんな祝福された光景の中に佇む少年と少女。
そして。
最後に見た君の横顔は
悲しみと寂しさと涙と共に浮かべられた
とても幸せそうな笑みだった。
最後に呼ぶことのなかった君の名を囁いて。
笑う君さえ霞む世界を心に焼き付けて。
囁かれた「ありがとう」
それは私の中に刻まれて。

私の時間を刻む針は止まった。

 


色を刻む空を君とともに。

 


――時に飲まれていった少年と少女の物語

 

 

「今日も空が綺麗だな」
そんな他愛もないことを小さく少女はつぶやきました。
彼女の上を覆うのは漆黒の空だけです。
いつまでも明けない闇夜が彼女を苦しませます。
「さあどうだ。君はどうするのかい?」
そう嘲笑うように。
長い空色がかった白の髪を風になびかせながら少女はそれを見つめていました。
長い時間が沈黙とともに通り過ぎていきます。
不意にぽてりと地面へとしゃがみこんだ少女は顔を伏せました。
雪のようなワンピースがひらり。ひらりと踊りだしました。
泣きそうなか弱い声で彼女はそっと呟いたのです。
時の流れないセカイで。
たった一言を風に乗せたのです。


「やっと見つけた」と。

 

そして。
少女は金色の鎖を首元から引っ張り出しました。
首元から現れたのは、星をかたどった小さな懐中時計。
少女は止まっている長針を見つめました。
「これで、最後」
そう呟きながら、長針を指で優しく押し戻しました。
時計はひとつ瞬いて、時を戻し始めます。

彼女は時を動かし始めます。
止まっていた時は波を伴い動き始めました。
そして。
少女は駆け出します。
少年の結末を変えるために。
少年が愛しさを込めた瞳で笑う世界へと変えるために。
もう、少年が泣きながら温かさを失うそのときが来ないように。
その分岐点を探しに今日の街へと。

時は歪み始めていました。
歪められたわけを少女は知っていました。
それを正す方法を少女は知っていました。

 

§  §

 

色を取り戻しつつある冬色の町を私は駆け始めた。
モノクロの風景は消え去り、こぼれる涙はアスファルトにしみてゆく。
君の元へ。
君に私の決意を伝えるために。

目を瞑り、霧によって曖昧になった世界と空の境界線を探す。
ぎゅっと寒さに身を縮め、白い息を吐く。
脳裏に浮かぶ、重なり合う笑い声。
せきをしながらも、嬉しそうに笑う君。
そんな君が腕の中で冷たくなってゆくあの結末だけは変えたいから。

君がいなくなるのはどうしても、避けたいから。

頬をまた一粒、涙が転げ落ちていく

悲しい別れが訪れたあの冬の日。
世界を書き換えてでも君と未来へと進みたい。
そう強く願った闇夜。
引きは返し、引きは返しを繰り返す夜の波はしじまを破る。
ぼやける視界の端に、小さな何かが映った。
それが、この星が散りばめられた時計との出会いだった。

時計は古びていて、ところどころ装飾も剥がれ落ちていた。
針も止まっていて、動くことはない。
それでも針に繊細な模様が描かれていて、丁寧に作られたものなんだなって分かった。
星が映し出される群青色の海が運んできた小さな贈り物。
まるで、君のようだ。
そんなことを思いながら、時計の針を押し戻してみた。


君との時間が戻ってきますように。


そんな願いを込めながら。優しく。
すると淡い光を湛え、時計は針を動かし始めた。
過去の方向へと。
水色の風が私を眠りに誘い、藍色の闇に落ちゆく。

外で舞い散る楓とさえずる小鳥達が私を呼び起こした。
「おはよう」
そう言って、私の前で微笑むのは

死んだはずの君だった。
ちゃりん。
朗らかに軽い金属音が首元で響いた。
外は橙の木々で彩られている。
冬の突き放す雰囲気はなく、暖かに私たちを包む秋風が舞う。

過去に…戻った。
君のいる過去へ。

そんな事実を呆然と、しかし難なく受け入れていた。

 

§  §

 

少女は零れ落ちてゆく雫を手で握り締めました。
悲しみに溢れる瞳でそれを見つめました。
そして、また一つ浮かびあがる思い出に首を振りました。
冬の風が冷ややかに少女を見つめます。

少女はここにいてはいけない存在でした。
少女は時を歪める存在でした。
少女は『過去』をさすらう旅人でした。
少年の『記憶』をさすらう旅人でした。

そして。
零れた雫は彼女の手を通り過ぎ冬のアスファルトへと落ちました。

時は迫っていました。

 

§  §

 

君と過ごす日々はとても温かくて、とても幸せだった。
ただ。
金の懐中時計の秒針は一日ごとに12と彫られた文字盤へと戻っていた。
それが、君といられる日数だって気づいたのは雪の舞う季節。

君の結末を変えようと努力を尽くす日々。

それを過ぎ行く時は嘲笑う。

「ほら、君はあの子の運命さえ変えられない過去の影なのさ」

君の響くことのない鼓動を感じながら立ち尽くす私に囁いた風。
空色の髪が俯ける顔を隠した。
ほろりと零れた涙は首に掛けていた懐中時計の上で眠たげに輝く。
それを見つめて、私は呟く。
「もう一度だけ」
君と笑える明日がその先にありますように。

そして、長針を過去の方向へと廻した。
時計は淡い光を湛え、過去へと戻してゆく。
水色の風が取り巻くその一瞬、君の微笑みが見えた気がした。

§  §

立ち込めた冬の厚い雲は静かに涙を流し始めた。
ぽつり。ぽつり。
落ちてきた涙は彼女の頬を濡らしました。
「もう分からないよ。」
「これが正しいのか。どうか。」
そう呟き続けながら、丘の上に立つ小さなガラスの塔を見つめました。
苦しそうに咳き込む少年の姿が、笑みを浮かべる少年と重なり合って。
だけれども塞いだ瞳はまだ夢を見ていて。

開けば飛び込む現実。

少年の『影』である泣き虫な少女は泣き虫な空を見つめて。
「でも君が笑っている世界なら、」

「それは正解だね」
そう呟いて、塔へと駆け出しました。
またひとつ秒針は12へと近づきました。


§  §

 

君の鼓動を聞きたくて。
君が幸せになれる未来が欲しくて。
君とともに生きるすべを探して。
それでもそんなのは見つけられなくて。
嗚呼、あの時計は贈り物じゃなくて罪だったんだね。
傍らに君のいない世界をなくすためには。
君の『記憶』で生き続けていた。

私がいなくなれば。

時を歪めていた、
私がいなくなれば。
時計に刻まれた繊細な模様が滲んだ。
自分がここにいてはいけないなんて。
気づいていた。
時を戻すときに揺らいだ身体がすべてを。
君の笑い声をどこか遠い目をしながら聞いていたことがすべてを。
泣きながら否定していた考えがすべてを。

涙色の空へ高く伸びる塔が目の前に。

§  §

少年は見ていました。
少女が自らの元へ、ガラスの塔へと走る姿を。
やせ細った声で少年は叫びます。
やや早めの鼓動が少年を嘲笑いました。
「来ても僕は死んでしまうよ。」
「僕はここで死んでしまう定めなんだから。」
「君には生きていて欲しいよ」
そんな言葉を告げても告げても少女は塔の階段を登り続けました。
リノリウムの床を駆ける消えかかった少女は何も答えず上り続けます。
そして。
かたりと音を立て開いた扉の目の前に。
少女は。

 

§  §

 

「君の笑顔がとても好きだった。」
空色の髪を揺らしながら私は君にそう言った。
「君の泣き顔も。君の微笑みも。君の悲しそうな顔もみんな『君』だけれども。
君の笑顔が一番好きだったよ」
驚いたように目を見開く君に私は微笑んだ。
泣きながら、最高の笑みで。
かちり。かちり。
響く秒針。
「だからね。」
すうっと息を吸い込んで笑った。
「私が今からすることに怒らないでね。」

「お兄ちゃん。」

そして私は潤んだ空へと切なる願いを。
「彼の『記憶』で生き続けてきた私は。
罪を償います。
かわりに彼の命を。
お兄ちゃんの命を。

救ってください。

私の償いは。
この時計とともに。
時を過去へと戻す、
禁忌の時計とともに。
持ち主の私が
この世界から消えることです。」
そう言い、外へと駆け出した。
空色の髪をなびかせた少年も決意を秘めた瞳で少女を追いかけた。

 

§  §

 

外は雪色に染め替えられていた。
音もなく降り積もる白雪は私を一瞬立ち止まらせた。
その一瞬に。
雪は消えかけた手の温もりに冷たさを宿し
風は時計を空へ返そうとし
君が私を抱きしめていた。
消えている私の温もりが君の温もりと重なる。
ささやかれる言葉は吐息とともに。

「君が消えても、僕の病は治らないかもしれないんだよ。
僕はね、僕の最後を君に見送られたいんだ。
君とともにいられたから僕は笑えたんだ。
だから。」

「君がいない世界は間違いだよ」

その刹那。

秒針は12を。
終わりの刻を。

告げる。

それは。
ガラスの塔の鐘ともに。

消えていく身体は色を刻み始めた空へ、光の粒になって。
溶け込んでゆく。
懐中時計の金の針にひびが入った。
そして、砕け散って空へと帰ってゆく。

せきの声は止まった。
辛そうにもたれ掛かっていた君は私を支えた。

涙と笑顔の浮かんだ顔に私は君の名を呼んだ。

「スカイ」

大空のように広い心を抱いた君さえ霞む世界を焼き付けて。
私は言葉の贈り物を。
「ありがとう。」
スカイは、双子の兄も笑みながら答えてくれた。
「ありがとう。
そして。

さようなら。」
その美しい瞳から溢れ出す涙は橙色に瞬いて。
空に転がった。


§  §

 

少年は消えた少女の温もりを抱いた。
しかし掴まれたのは空のみ。

「戻ってきて…ティナ」
そう呟く少年。
空色の髪に白い花が咲く。

残された少年は空に笑顔を向けた。
壊れかけた心とガラスの塔は。

崩壊を始めた。

少年はただ立ちすくむだけ。
色を刻み始めた空はそれを冷ややかに見つめていた。
美しいステンドグラスの絵は割れて。
描かれた人魚はむせび泣く。
脆いガラスは世界の隙間で砕け散る。

舞い散る白雪を見つめながら、少年は微笑んだ。
「君がいない世界の方が間違いだから」
繰り返しそう呟いて。
少年はガラスの塔へと走り出した。

そして。
ガラスの鐘は少年の上で。

砕け散った。

「君と、ずっと一緒に」

街が眠りから覚める冬の朝。
人々が見たのは。
崩れたガラスの塔と。
割れた金の懐中時計と。

寄り添って咲く。


双子のようによく似た、雪のようなシザンサスだった。

 

 

(ほら、橙色と藍色が織り合わさった空が)
(私たちの上で色を、時を刻んでいるよ)
(私たちは正しく、また間違ったことを)
(この冬の日に)
(したんじゃないかな)
(それぞれの)
(心に咲く)
(大切な花のために)