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例えばの話だった。全部、ぜんぶ。



幼い頃、ブルーファーは長老たちの話を聞くことが好きだった。


目を瞑れば、黄昏に満ちた保育部屋。落下する夕日とシダの葉の擦れる音。柔らかな寝息を立てて、隣に転がる友達。ゆるやかに寝息を零すライオンキット。彼は時折、きれいなエメラルドグリーンの瞳をしばたかせて、それから前足に抱えたコケのかたまりを、大事そうに胸元に引き寄せていた。

ライオンキットの抱えるそれは、昨夜のうちに“ぼうけん”をして手に入れたもののひとつだ。幼いブルーファーは笑みを零したライオンキットを思い出す。


昼下がり、柔らかな陽だまりは甘い匂いをつれている。淡い色のちいさな世界のなかで、黄金色の子猫は得意げに口元を緩める。尻尾をぴんと立てる彼は、幼いブルーファーに冒険譚を語った。たどたどしく紡がれるそれに、青灰色の子猫はロイヤルブルーの瞳を大きく見開く。弾けたのは好奇心と、ささやかな羨ましさ。


幼いブルーファーは想像する。足音を忍ばせて、ハリエニシダのトンネルをくぐる小さな戦士。ひとつの物音さえ逃さず捉え、彼は歩を進める。六分の好奇心と四分の不安をつれて、青灰色の子猫の知らない世界を踏みしめる。

“よる”は世界の彼方からやってくる。群青色に塗りつぶされた空と、眠たげに駆ける“つき”。ぽっかり空いた空の穴は“ほし”の欠片を砕いたかのような色だという。

いったいそれらは、どんなにすてきなものなのだろう。きっとライオンキットはそれらを見たのだろう。幼いブルーファーは、それらに憧れを抱いて止まなかった。


幼い彼女は、“ぼうけん”も“よる”も“つき”も、それから“ほし”も。長老たちが語る物語の中でしか知らないものだったから。


幼いブルーファーは、長老の不思議な物語を聞くたびに目を瞑り、想像した。

知りたがり屋な子猫にとって、彼らの話はなによりも興味をもたらした。

“さばく”に迷い込んでしまったライオン族の戦士の話。“うみ”を目指して歩き続けたトラ族の戦士の話。“あい”のために身をささげたライオン族の雄猫と、トラ族の雌猫の話。既に戦士となったブルーファーの脳裏にさえ、それらは鮮烈な印象共に焼き付けられている。


幼いブルーファーの想像が壊れたのは、ライオンキットの話を聞いてから数ヶ月が経ったころだった。

その頃は、何匹かが見習いに昇格して、保育部屋が閑散としていた時期だった。姉さんのように慕っていたローズキットさえ見習いへと昇格して、ハリエニシダのトンネルの先の世界を知っていた。それが何処か寂しくて、自分ひとりだけがのけ者にされている様な気分だった。


四角に囲われたちいさな世界のなか。穏やかにグルーミングを行なう大人たちを傍目に幼い子猫は、初めて規則を破った。見習い部屋へと駆けた青灰色の子猫はあどけなさを浮かべながら、ローズポーに問うたのだった。ハリエニシダのトンネルの先には何があるのか、を。よる、というものはどんなものなのかを。

ローズポーは呆れがちに笑って、それから少しだけ眉を寄せてから幼いブルーファーを抱き寄せた。耳元に囁かれた言葉は、悪気はなかった。それでもその言葉は確かにブルーファーの想像を壊してしまったのだった。


彼女は言った。ハリエニシダのトンネルの先なんて、知らなければよかった、と思えるものしかないの。と。よる、というものはただただ私や貴方を不安にさせるものしかないの、と。