(2) エレジーは明けない

エレジー…哀歌のこと。人の死の悲しみを歌った曲を指す。


 


 どこかでこんな話を聞いたことがある。クジラという生き物は、本来集団で行動するそうだ。その数、大体20から30。彼らは協力して獲物をとらえたり、子供たちの世話をする。しかし、クジラたちには声はない。彼らが生活するのはエーテルのないつめたい水の中だから、空気が振動して伝わる声というものは使えないのだ。それでは、クジラたちは一体なにで意思疎通を図っているのだろうか。それは、声であって声ではないもの。彼らのコミュニケーションは音波なのだ。

 たとえば、シロナガスクジラ。彼らは通常10ヘルツから39ヘルツで鳴く。また、ナガスクジラは20ヘルツという周波数の音で鳴く。それは人間にとっては低周波数で、聞き取ることは容易ではない。彼らは同じ周波数の仲間同士で、意思疎通をはかる。同じ仲間が、同じ周波数のチャンネルを持っているからだ。


 それでは、とあるクジラの持つ周波数が、仲間のクジラたちに比べてより高周波数で、より頻繁で、より短かったならばどうだろうか。そのクジラの意思は、音は、言葉は、チャンネルは誰にも理解されない。どれだけ目を合わせて見せても、意思は図れない。どれだけ近くに寄り添ってみても、思いは伝わらない。そのクジラは、集団行動ができず、たった一体で、広大な大海原を旅するのだろう。いつか、だれかが自分の周波数を聞き取ってくれることを信じて。その一体は、死ぬまで誰にも理解されずに、孤独なままなのだ。


そのクジラは、「52ヘルツのクジラ」と呼ばれて、世界一孤独なクジラと揶揄されるようになった。


 相良 蓮が、そのニュースを聞いたのは、よく晴れた夏休み前の朝だった。朝独特の刺すような空気をつれている廊下の先、居間に置かれたテレビからそのニュースは流れていた。「52ヘルツのクジラが死んだらしい」というニュースが。

 どうやら、52ヘルツのクジラがこの街の浜辺で遺体として発見されたらしい。発見したのは、奇遇にも近所の漁師だ。あまりにも巨大な体躯のせいで、最初は島か何かだと思ったらしい。この町にクジラが打ちあがることなんて滅多にないし、全国でもそうそうに見かけない。けれども、このクジラが打ちあがったことが、全国報道のトップニュースになったのは、他ならない。それが世界一孤独なクジラであったからだ。その胸びれにくくりつけられた白いテープが、52ヘルツのクジラであったことの目印だった。世界に唯一とうたわれた、希少な個体。その個体が、この小さな町で死んだ。


 そのときの蓮にとって、眠たげなキャスターの語るニュースはどうでもよくて、たとえば先週の剣道大会であと一歩踏み込めなかったことに対する反省やら、隣のクラスのかわいい女子が髪を切って殊更可憐になったこととか、新しいカーボン製の竹刀をどうにかして手に入れたいなとか、そんな日常の悩みやらが脳内を占めていた。今の蓮にとって、勉強よりもなによりも部活がいちばんで、ニュースなんてお堅いものに思考を揺らしている暇はなかったのだ。けれども、居間にそのニュースが伝わったとき、蓮のこころは奇妙なことにそのニュースに惹かれたのだ。幼い頃から煩わしく思えた水音が聞こえない。その代わりなのか、どうにも形容しがたい哀しみやら寂しさの感情で心は満たされてゆく。それを蓮は、どこか他人事のように知覚していた。


 目をつむると、馴染みのある海の光景を思い出した。もう幾度となく目にした、けれどもいつであっても圧倒される光景。自重にとらわれて動けない自分の上、ゆるやかに回遊する巨大なクジラ。胸びれにくくりつけられた白いテープは、奇妙な人工色をつれている。白いテープは、差し込む光を変な方向に弾いてみせた。すべすべとした、ゴムみたいな皮膚で覆われた体躯。大きな体躯は、煩わしげな様子のまま、ゆるやかに旋回する。どこまでも低い音を、体内で震わせながら、ぐるり、ぐるりと。ちっぽけな自分は、そのクジラが巻き起こした海流に揺られた。それは、まるでミズクラゲみたいに。沈んでいた体は、そのクジラのほんの一動きで水面近くまで上昇する。あれほどまでに煩わしくてたまらなかった重力も自重も、きっとこのクジラの前ではちっぽけなものに過ぎないのだ。

 繰り返し、繰り返し蓮はこの光景を夢に見る。あまりにもこの光景が鮮明に記憶されているせいだろうか。最近まで蓮は自身が海に溺れた経験があるのだと、すっかり信じ込んでしまっていた。けれども、蓮は一度も溺れたことがないのだと、家族は口を揃えて言う。


 夢の終わり、決まって蓮はこのクジラと視線が絡み合う。濃紺色をした小さな目の奥にひそんだ孤独は、いつだってそこにあった。


 もしも、いつも夢に見ていたあのクジラが、世界一孤独なクジラと揶揄されるクジラと同一であったならば。孤独なクジラは、呼吸の仕方を忘れたことで、この寂しい世界にさよならをつげることができたのだろうか。


 家から追い出されるようなかたちのまま、蓮は剣道の練習のために登校をたどる。のびやかな上り道には、夏の気配が隠されている。外はやはりニュースの影響か、いつもの朝にはない浮ついた雰囲気を充満させていた。近所の子供たちでさえ、嫌に静かにしている。まだこんなにも早朝だと言うのに、漁師の男たちはおらず、代わりに妻たちが他愛のない噂話に花を咲かせていた。

 鼻につくような嫌な臭いが、蓮の鼻腔をくすぐった。夏特有の気だるい暑さにうもれた、死の匂い。それは、例えるなら熟れ過ぎた桃のようで、ひとの五感を狂わせる。磯臭いにおい混じりのそれに、反射的に下を見下ろせば、蓮の視界には巨大な体躯のクジラの遺体が飛び込んできた。

 浜辺に打ち上げられているそれは、ずいぶん小さく思えた。距離のせいもあるが、きっとそれだけではない。海のなか、ゆるやかに回遊していたあのクジラと同一には思えない。それほど、蓮の知るこのクジラとはかけ離れた、弱々しい姿のままそれは打ち上げられていた。胸びれが意思を持って動くことはもう二度となく、蓮が濃紺色の双眸の淵をのぞき込めることもまた、もう一生ない。長く生きたいきものの証である傷が、前に見かけたときよりも増えているように思える。海水と光を弾いて見せていたゴムみたいな皮膚は、乾ききっていた。朽ちおいてゆく老木の様子と、脳内で重なり合った。

 きっと、この孤独なクジラの最期はひどく痛ましいものであったのだろう。このクジラははたして、共鳴しあうことのできる誰かが、意思を伝え合うことのできる誰かがいたのだろうか。それとも、仲間のクジラたちに知られることのなく、この小さくて閉鎖的な街の一角の浜辺で息絶えたのだろうか。けれども、どのような形であれ、このクジラは、もう52ヘルツの音波で孤独を訴えずに済むのだ。



3. フーガは追いつけない